現代に蘇るネオクラシシズム
美術評論家・室伏哲郎
巧緻な背景描写
以前、月間美術「現代美人画」特集にも登場した村山直儀画伯は、日本の現代美人画、肖像画の新しい人気作家であるとともに、デッサンの妙にかけては、巨匠小磯良平以来の天才的名手といわれる。
村山氏は、“主観によって事実を歪めない”正確無比な高度の描画力をもつ繊細な具象派であると同時に、背景を大胆かつアブストラクトリイに活性化することによって、画面にドラマチックともいえる生気を吹き込む抽象派作家の反面をもつ。
昔、彼は、ロンドン・テイト・ギャラリーで、英国の風景画の泰斗ウイリアム・ターナーの作品に触れ、深い感銘を得たと述懐している。19世紀前半、最高の風景画家ターナーは、光と空気の織り成す風景を、ドラマチックな抽象構成にグレイジングし、ロマン主義の香気を雰囲気として漂わせる卓越した情動のカラリストであった。このターナーの光と空気の醸し出す現象の抽象的表現を、風景画から人物画や馬の動態画に置き換えて、改めて、村山作品を見ると、正確無比の厳密な人物や躍動する馬の写実力と呼応して、それらの存在感、生命感を劇的に浮かび上がらせているのは、この作家独特の巧緻なグレイジングによる背景描写であることに気付く。
しかも、彼の卓越したところは、既に大家の画格を達成しながら、日々精進、旺盛な制作意欲で次々と新分野にチャレンジする自己革新の試練を課しているところだろう。
例えば、彼は、ここ数年、本領の油彩画に加えて、積極的に「版の絵」にも取り組み、この分野でも、裾野の広いファン層を獲得しつつある。その一つ、「源氏物語」シリーズは、紀元1000年~5年に完成した紫式部作の世界最古の小説からミレニアム(1000年)が経過した21世紀初頭に、古典小説の主人公光源氏を取り巻くヒロインたちを現代ギャルのシチュエーションに置き換えた意欲作。『遥かなる姫たち』はその第一作原画。
売れ筋となれば、企画注文の殺到は、この美術業界の常だが、油彩風景の名作「嘆きのセーヌ」バリエーションや馬シリーズで近作の『帰路』あるいは最新作の美人画『妖精』なども、版画制作を前提に描かれ、前評判も上々と聞いている。
ポスト・モダン以降、具象も、非具象も、また、抽象画も幻想画も、さらには半具象とやらも、すべてが混迷と硬直で行き詰まった日本の美術世界で救世主たり得るもの、その一つは新古典主義の勃興だろう。
今日、政治、経済がドン底まで堕落衰亡した日本社会で、異常ともいえる熱気で、考古学が、予想外に繁栄進歩していた縄文太古の文化発掘の新事実を次々に明らかにしている現象の背景にあるもの、それは、世界四大文明に発祥に先駆けて発揮されたともいえるこの国土、民族の太古の活力を再確認し、希求する現代の活性化に繋げたいとする日本社会の社会的なネオクラシシズム回帰への一思潮ともみられる。
劇的なロマンチシズム
今、この国に切実に求められている新古典美術の風雲に乗じて、頭角を現し、孤影、蒼い月に吠える、パワーフルなグレイジング色彩技法の巨匠。それがNAOYOSHI MURAYAMAその人である。
モデル選びから衣装、服飾、小道具、大道具の末に至るまで、正確無比の素描の準備に繊細かつ厳格な神経を張り巡らせた後は、一瀉千里の放胆かつ辛抱強いユニークなグレイジング色彩技法で、対象の真髄に迫る。
大方の画家の範疇を超えて、上塗り十数回、憑かれたようなある種のトランス状態で、三次元の対象を、いや、時間の要素をも加味した四次元の実在を、彼は二次元のカンヴァス上に蘇らせる。
ここに四次元の蘇生というのは、一種のオートマディズムのように、作家の手指と同化した絵筆によって、激動の瞬間や生命の美しさの息吹などを実感させるターナー流の劇的ロマンチシズム、さらに言えば、「魂」や「気」を雰囲気として画像化できる非凡の才能を意味する。
近作『青春ロマン』『妖精』『プリマドンナの肖像』などを見ると、美人画や肖像画では、相変わらずの精緻で高度な写実力にますます磨きがかかり、彼の描画骨法である“薄塗りを厚く”同時に“厚塗りを薄く”仕上げる入魂のグレイジング色彩技法が醸成する生命感、躍動感のある画像は、洗練の極致にあることがわかる。
また、「戦国ロマンシリーズ」や『エキサイティングⅢ』など駿馬のギャロップや激動の瞬間をドラマチックな背景とともに捉えた馬の動態画は、最新作『帰路』のバリエーションなどでは、物語性を加えたアブストラクテッドな背景描写が効果をあげている。
いずれにせよ、新古典主義勃興の時代に、ポテンシャルな非凡の才能と蓄積したエネルギーを一気に爆発、顕在化しつつある村山直儀画伯は、現代注目のアーティストであることは間違いない。
美術評論家・室伏哲郎