村山直儀が描く“究極の本田美奈子”

村山直儀が描く “ 究極の本田美奈子

文:清水秀作(美術記者)

1936年東京・京橋生まれの村山は、72年に渡欧。ル・サロン展やベルギー美術賞展等で受賞を重ねた。15年ほど前からは国内での発表が増え、女優などをモデルとした華麗な肖像画家として注目されるようになった。

ファンを一気に獲得したのは2001年。モスクワ・ボリショイ劇場で取材したバレリーナたちの肖像画を同劇場内での個展で発表、国内外で話題に。村山がボリショイを初めて訪ねたのは2000年と聞く。以後同劇場団来日公演には欠かさず出掛け、何度もモスクワに行く。舞台だけでなく、レッスンの模様や休憩時間のバレリーナたちの様子も克明に捉えてきた。ロシアバレエのプリマドンナやモダンダンスのダンサーを描く第一人者としての評価を確立。

その後には、ウクライナのバレエ学校にまで取材して、バレリーナの卵たちの厳しい修練の様も観察、描いている。バレエ学校の取材成果は2007年発表の「シンデレラシリーズ」に結実した。完成された美と、完成に向かう美。その差を、差とだけで捉えるのではなく、その差を可能性として見守る心技が村山に生まれた。

バレリーナとその卵たちの取材に挟まれる2004年には、中国の西安(かつての長安)に渡り、古代中国の伝統的美女の楊貴妃も描いた。像主をめにすることは不可能だから、画家の解釈力、想像力が試される困難な挑戦だった。見てきたかのように、村山は描くたびに新たなものを得て、更なる高みに挑戦してきた画家である。

このような、画業の積み重ねの上に、一連の「本田美奈子肖像」作品が誕生している。人体は、骨格と筋肉で構成される。画家はバレリーナたちの描写から、人体の動静状態に関わらず、筋肉の有り様に深い関心を抱いたものと思われる。彫刻家の柳原義達から「筋肉の動きを捉えないと生きた人体は表現できない」と聞かされたことがあるのを思い出した。

 

すっくと立つ印象があるM50号「アメイジング・グレイス」だが、上半身を僅かに後ろに引いて立つ。舞台女優として、カメラの前に立ったスタジオ撮影の写真が基になっているそうだが、そのしなやかな腕の有り様や、凛とした顔の中にある微笑の表情等に、生気が迸る。生きているのだ。髪の毛の一本ずつの表現、ドレスの襞の重なりと紋様の動き、手前で組んだ指の表情。技術は完璧である。背景は必ずしも明澄な色彩ではないが、壁のように強固でもなく、どこか暖かく柔らかい。わずかに天空から差し込んでいるのは、一抹の光明か、はたまたスポットライトの光なのか・・・。鑑賞者の目と心が本田美奈子の存在に緩やかに向き合うように描かれているのだ。しかも、その表情を見たら、忘れることが出来なくなるまでの吸引力を作品は持つ。

 

P80号「美奈子オンステージ(永遠に輝く)」は舞台の一場面を再現している。役に徹して彼女の、その表情の生き生きとした瞬間をリアルにとらえた。

 

 

 

F20号「ミューズの情熱そして誓い」も舞台上の姿を描いているが、画家のイメージが大きくふくらんだ作品。顔を含む上半身の動きあるポーズとそれを支える下半身の安定感が見事な調和を示す。

 

 

露出部分が多いやや異色の作品がP30号「ミューズのくつろぎ」。黒のカーディガンが効果的で、休息時のくだけたような緩さが魅力だ。

 

 

 

本田美奈子ミューズの微笑みF4号「ミューズの微笑」は、舞台衣装の髪飾りを付けて少し目線を下げて微笑む。首筋と顔の表情が醸し出す様は実に愛らしい。

 

 

 

 

『~本田美奈子メモリアル音楽彩~村山直儀が描く究極の本田美奈子像展』出品の5作品について触れたが、それぞれの作品に描かれた本田美奈子の表情は微妙に異なる。特に、顔の表情は一瞬一瞬違うのだが、通常そのことを意識することは無い。優れた画家の、渾身をこめた絵画作品だからその違いが出てきたのだろう。悩ましくも、全てが本田美奈子なのだ。逆に言えば、全てが揃う必要があった。

村山の心情を推察してみる。“女性こそ、わがミューズ。触れることは適わぬが、全身全霊を捧げる存在だからだ。対象にした女性人物が美しくなければ、描けない。それ以上の美しさを見出したい。その権利を持つのは私・・・”。この見事な心酔ぶり無くしては描けぬ世界である。

文:清水秀作(美術記者)

 

LIVE FOR LIFE (リブ・フォー・ライフ美奈子基金)

PAGE TOP