マチエールの魔術師

マチエールの魔術師・村山直儀 Naoyoshi Murayama

作家・評論家 室伏哲郎

「存在するものを想像で歪めない」リアリズムと「理想主義が優美な影を落とす」ロマン主義を融合させる造形は稀である。Naoyoshi Murayamaは、その精緻華翼で夢溢れる写実をカンヴァスにヴィヴィッドに創造できる希有の才腕のアーティストである。

彼は、作画にあたって、モデルや衣装、さらに小道具などに徹底的にこだわる。 「想像で歪める必要のない」卓越したモデルとその存在と容貌、姿態に最適と思われる衣装や小道具を執拗かつ性急にリサーチする。東京京橋生まれという、生粋の江戸っ子の粋(いき)への思い入れと、本物嗜好の贅(ぜい)を尽くす性癖が短兵急に彼を駆り立てるらしい。

既に、そのリサーチ自体が創作の予備行動であり、端正な写実への現実的なアクションの中で、彼のソウルには浪漫理想主義のスィッチが入る。

描き始めると、戦後具象洋画の巨匠、小磯良平のタッチを思わせる正確なデッサンがカンヴァスに息づく。愛用の豚毛の絵筆が、細心に選ばれた色彩と溶剤を媒介として、ハイパー・リアリズムを突き抜けた写実のイメージをマチエール化してゆく。

その内に、「自分が画面に乗りうっったようになってマチエールを作っているんです」と彼は言う。 入魂(じゅこん)という言葉があるが、オートマチズムのように、ソウルのコンセントレーション(集中)が結晶した絵筆が、自然に画布を走るのである。

そう、走るのだ。 入魂の絵筆の軌跡である村山作品は、現代フランス画檀の名匠ワイズバッシュの躍動感を彷彿させる、いや、造物主が今創り上げたような生気に満ちた画面を完成させるのである。

三次元の物象を二次元のカンヴァスに写すマチエール、つまり作品の材質的効果を形成する独特のメチェ(技法)こそが、迫真の村山芸術の神髄なのだ。彼は、普通数回で終わるマチエール形成を、十数回も、憑かれたような一種のトランス状態で絵筆を走らせるという。その造形ビヘビアの中から写実とロマンが渾然一体となった作品が生まれるのだから「マチエールの麿術師」というところかも知れない。

優美で生気に満ちたといえば、村山画伯には馬を描いた名品が少なくない。馬は、存在自体、ただの動物というよりは、長年人類と共生して、進化の改良を加えられた有機的な芸術作品という趣きをもつ生き物である。歩んでも疾駆しても、静止しても、その肢体や動態は、女性の姿態や動きのように優美でしなやかで、しかも凜とした強さと生気に満ちている。マチエールの魔術師・村山直儀は、その迫真の女性像同様、優稚で高貴でさえある馬の生命をカンヴァスの上に力強く奔出させる。

ある種のトランス状態の入魂の絵筆から天才的なマチエール形成が産み落とす村山絵画は、また、ユニークで凛乎とした「気」の気配を鑑賞する側にアッピールする。

ヒーリング・アートというものが存在するとすれば、観る者をハイパーな写実の現実感、迫真感から、さらにその奥の浪漫の夢と憧憬の世界に誘い込むマイス夕ー・Murayamaの造形は、まさにそれに違いあるまい。

現代人の心を癒すマチエールの魔術師、それが創作家村山直儀なのである。

 

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